2011/08/08

$手のひら$。





孫悟空は、いかに自由を振舞っても結局はお釈迦様の手の平から出ることは叶わなかった。


僕が相場を始めた時、その自由な世界、無限に広がる可能性に大いに興奮した。自己責任という無責任な言葉を錦の御旗に、誰でも一国一城の主のような振る舞いができる。僕の様な人の上に立つ資格のない人間でも、主になれるのだ。


しかし、そんなものは幻想にすぎないと最近になってやっと気付いた。ツチヤー先生は言う、全てのシステムはすべからくトレンドフォローでなければならない、と。それは狭義の張り方のことではない。全てはお釈迦様の意のままに、三蔵法師の言うとおりに、頭の輪を気にする孫悟空に真の自由がないごとく。

投資対象一つ選ぶことに対してさえ、僕達に自由はない。自由を気取れば輪が締まり、過ちに気付かぬものはそのまま絶命する。そう、相場の世界に自由なんてなかったんだ。お釈迦様になりたいわけではないしね。

一国一城の主のまま討ち死にしていった人たちを僕は羨ましく思う。この不自由さに気付いてしまった僕の相場に対するイメージは180度変わった。これからは僕も聞かれたらこう言うだろう。相場なんてするもんじゃない、って。

しかし、僕は続ける。頭の輪を気にしながら。そして自由は諦めた。社会ではyesマン、太鼓持ちと陰口を叩かれるような、僕がリアルでは最も忌み嫌う行為を相場の世界では行う覚悟はできた。


自分の戒めにもう一度言う。

相場の世界に僕達の求める自由はない。この世界での自由は金貨の代償によってのみ与えられる。自由を望まければ、天から溢れて落ちてくる小さな銅銭を受け取ることができる。

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